ジュニアオリンピックと台風19号
台風19号が日本に近づく恐れが高まる中、10月11日から13日まで開催される第50回ジュニアオリンピックに息子が出場するために競技前日の10日にいよいよ関東へ行くことになりました。
行きの飛行機の中で音楽を聴こうとイヤホンを付けると秋の音楽特集が始まっていました。そこで流れてきた曲がとても印象に残り機内のサービス案内を見るとオフコースの「秋の気配」という曲でした。美しいメロディの感傷的な歌ですがサビの部分が「こんな ことはーいままでなかった~・・・」とこの歌詞を聴いて何かイヤな予感がし始めたのはこの時からでした・・・・着陸前にももう一度かかったので息子と嫁にもいい曲だからと聴かせました。その時はこの曲が今回のわたしの旅のテーマ曲となるとは思ってもみませんでした。
無事、羽田空港へ着き神奈川県川崎市の等々力陸上競技場へゼッケンなどの受け取りと下見を兼ねて向かいました。
空港から電車、タクシーを乗り継いで夕方4時に到着 会場外の販売ブースにはグッズを買い求める列が
まずは競技場を見学にいきます
懸念していた台風の影響で2・3日目は全競技中止に・・・・ 息子が出場する初日はかろうじて開催の予定です(;''∀'') しかしまだどうなるのか不安です
同じ競技に出場する選手が数人いました
トラックを走ったりして競技場の雰囲気に馴染みます
ピットの感触も確かめてみました
ちょうど一緒にいた子に声をかけると沖縄県代表選手でした。県大会で62m投げたそうなのでちょうど受け取ったばかりのパンフレットを開いて見てみると試技順に名簿が出ていました。
目を通すと、なんとうちの子が第1試技者。これは喜んでいいのか・・・抽選とはいえこれは名誉なことだといい方にとらえるしかないでしょう。息子も動揺していたようですが最初から飛ばして皆にプレッシャーを掛けると腹を括って気合が入ったようです。
沖縄の子は後半で持ち記録も出場選手中3位と上位入賞が狙える実績ですが、野球部所属で競技を始めて3カ月らしく息子に握り方はどうやっているかなどを聞いていました。
そして互いの健闘を誓いました
日が暮れた頃、顧問の先生と一緒にバスで武蔵小杉駅へ行く途中、先生から帰りの飛行機が飛ばないかもという話が出ましたが、わたし生まれてこのかた旅行で飛行機が飛ばなかったとか予定が変更になったりとか一度もないので大丈夫ですよ!と自信満々に話していました。先生もそれは頼もしいですとおっしゃっていました。
そして電車で川崎駅近くの宿へ向かいました。宿に入ってすぐ、ロビーのテレビで帰る予定の12日の航空機が全便欠航とわかりパニックになりました。うそつきじゃないか!オレ。
「♪こんな ことはーいままでなかった~・・・」
やはりそうだったのか 予感は的中
それからチケットの変更手続きを何度もやってなんとか落ち着きましたが翌日宿泊予定の横浜の宿は延泊手配ができずキャンセルし、応援に来てくれるさいたまの従弟宅へ急遽お世話になることにしました。ここまでやりとりに数時間を費やしましたが、まさに地獄に仏です。
安心したので近くの小料理店へ・・・行ったつもりでしたが
お通しが出てきましたが、なんか高級店だったようで・・・・
いろいろ注文したが大丈夫か?・・・
値段を確認せずにたのんでしまった刺身盛りにはたくさんの種類の魚介が!
値段がわかり、もうラストオーダーと嫁にストップされましたが
カツオ、マグロ、かんぱち、ムツ、アオリイカ、シャコ、しめサバ、マダコ、真鯛、海老の10点盛を見て すぐに日本酒を注文しました
地酒を飲みたかったのですがあいにく甘口のお酒しかなかったので静岡の辛口のお酒にしました
刺身は想像以上に新鮮で美味しくいろんな味を堪能することができ満足しましたがお会計で目ん玉が飛び出ました
宿に戻りユニフォームにゼッケンを付けます。翌日の起床は5時、7時には競技場集合です。しかし雨の音か浴場が近いのか水が流れる音で全く眠れませんでした
どうにか集合時間に間に合いました
息子はメディシンボールをわざわざ持ってきていただいた顧問の先生と入念にアップをした後に練習場のピットから投げの練習
すでにライバル同士の火花が散っています。
昨日会った沖縄の子は体力があるのか何十投も投げて60m近くまで飛ばし調子も良さそうです
息子は5投して練習を終え招集場所に向かいました
今にも雨が降ってきそうな空もようで風が強く肌寒い厳しいコンディションとなりました
10時半の競技開始に合わせて選手が入場してきました
試技順に先頭で入場です
各都道府県の代表46人がエントリー
練習の投てきがはじまりました
息子は50m前後を投げていますが皆条件が良くないようで苦戦しています
順番に一投ずつ各3投の練習が終わりいよいよ本番
第1試技者の息子がピットに向かいます
夏に指導に訪れていただいた先生の教え子の稲岡さんが国士館から駆け付けてくれました
さあ一投目
先生たちの大きな声援に後押しされて自らも声を出し気合を入れます
静まりかえった競技場に大きな掛け声が響きました
49.09m 最初にしてはまずますの投てきでした
すぐに稲岡さんが駆け寄ってアドバイスしていただき、息子もこんなに緊張したことはないというほどのプレッシャーを解きほどいてくれました。息子も笑顔浮かべているようで本当に心強い応援です。
全員が投げて一周するのに約30分 小雨が降り出して2投目
今回はさいたまから応援に来てくれた従弟たちが別の位置から撮影してくれたのでいつもは捕えることのできない投てきの全体映像をきっちり残してくれて本当に助かりました。
助走とステップもほぼ完ぺきに決まりました
先ほどより高い軌道で飛んでいます
52.49m 飛距離を伸ばしました
リアルタイムで速報が出ますが現在11位
上位8人が決勝進出です
雨風も次第に強くなっているようです。最初は皆、悪条件の中いい記録が出ませんでしたが次第に好記録が出はじめてトップは70mを超えてきました
そして最後の3投目
県の横断幕も応援しています
最後の最後に鉢巻を付けてさらに気合を入れているようです
おっと! いつも最後の一投でファウルをしてしまう癖があるがどうか・・・・審判がしっかりと見ています!
ラインぎりぎりで踏みとどまりこれまでで最高のステップと踏切りでさらに完ぺきな投てきです
槍は高い軌道でグングン伸びていきました
60mのライン近くで、これはいい記録が出そうです
56.46m 自己記録を約2m更新しました
このマーカーを見るともしかして決勝進出か?と一瞬期待しました。
そのあとは皆も記録を伸ばし、56m台に6人がひしめく接戦となりましたが最終結果は16位。
あと2m飛ばしていれば・・・・決勝進出は叶いませんでした
優勝は73m以上を投げた大分の選手、ひとり飛び抜けていました。
九州・沖縄はレベルが高いようでほとんどが上位にくい込んでいました。
上位入賞の期待をしていた例の沖縄の選手は最後の3投目の前に息子にスパイクを貸りに来たそうです。それでも実力を発揮できなかったのか意外にも19位でした。
息子は大舞台で自己記録を更新し、持っている技術と力を存分に発揮できたことで満足したようです。
特に助走とステップは誰よりも練習してきたという自負があり、最後の一投でこれまでの集大成と言える完璧な投てきで締めくくることができました。
しかも16位というわたしの予想以上の好成績を残し、トップバッターのプレッシャーを跳ねのけて堂々ときれいなフォームの投てきを見せた息子を誇らしく思いました。
競技場を後にし、応援に来てくれたさいたまの従弟たちと武蔵小杉駅近くで昼食
スポーツバーのような 洋食屋さんの店構えでしたが和定食もあります。ここでも刺身を食べました。キンメや炙ったアイナメなどの3点でしたがこれがまた期待していなかった分、美味しくてびっくりしました。従弟もこっちは魚は豊富で新しいから美味しいと言っていました。
値段もお手頃でどの料理もボリュームもあって満足しました。二日後のニュースで駅周辺の水害の様子が伝えられていましたがこのお店は大丈夫だったのか心配です。
武蔵小杉駅の長い長いホームを歩いてタワーマンションが立ち並ぶのを見ながら電車を待ちました。このあたりも二日後は大変だったようです
6年ぶりにおじゃまします。
夏以来の再会でしたがその時はほんの僅かしか時間がありませんでした。
子供たちは屋根裏部屋で一緒に過ごし徐々に打ち解けてくれました。
台風最接近まであと1日 食料や防災のための買出しに行きましたがスーパーの食材や飲み物などは品薄となっていました。
翌日も朝から買出しへ、家に戻って台風に備え、ガラスの補強などの作業をしました。
夕方頃から雨が強まり、時々風が家を揺らすほど吹きましたが想像していたほどの勢力はなく深夜には治まり特に被害はありませんでした。
しかし、翌朝のテレビには大規模な水害の様子が映し出され、甚大な被害が発生していることがわかりました。
「こんな ことはーいままでなかった~・・・」またオフコースのあの歌のフレーズが・・・・
もしかすると今日も帰れないかもしれません。電車は昼まで運転見合わせだし、とりあえず折角来たからどこかに行こうと思い車で5分程の盆栽美術館へ行くことにしました。電話で確認すると当日予定されていたイベントは幾つか中止になるが開いているとのこと。前回も行けずに残念だったので、やっと行けるぞ思っていると嫁からそんなにゆっくりしている時間はない。早く大宮駅に向かってリムジンバスの順番待ちをし、空港へ向かった方がいいと説得されしばらく押し問答の末、断念することとなりました。
従弟とお嫁さんに車で送ってもらい何とか運よく最初のバスに乗ることが出来ました。4時間待ちの予定だったので助かりました。
それから空港でお土産や食事をしながらゆっくりと時間を過ごしました
お昼を過ぎると電車が動き出したのか人が空港に押し寄せごった返してきました
どうにか航空機も飛ぶようでひと安心
そして日が暮れた19時離陸しました
ここで野口五郎の「19:00時の街」を思い出しました
「 低い雲 立ちこめて 摩天楼つつんで~
都会は海 、人は砂漠、愛は蜃気楼・・・ 」
やっぱり都会の景色って雰囲気から歌になり画になりますね
でも人はうじゃうじゃいるのにすごく寂しく虚しい気持ちになるのはなんでだろう
田舎の風景じゃ 洒落れた歌を作るのは難しいんでしょうね どうでもいいですけど・・・
帰りの飛行機でもまたオフコースの「秋の気配」を2回聴きました。
横浜観光も江の島にも行けなかったけどどうにか無事帰って来れただけでも幸いです。
「こんな ことはーいままでなかった~・・・」
この悲しい歌を頭の中でくり返しながら見ることもできなかった横浜の風景を想像しています。